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浜村拓夫(・∀・)作品集

頭の中にあるイメージを表現できるデザイン力が欲しいです(><)

勉強はマラソンよりも駅伝に近い!?

勉強は、マラソンに例えられることがありますが、マラソンよりも駅伝に近いという話がありました。

 

 

「手紙屋 蛍雪篇」という本で、勉強することの意義が提案されていました。

 

十通目の手紙『今日一日の勉強が、将来の世界を大きく変える』

 でも、残念ながら今のままでは、これから一年半もある受験勉強の中で、きっとまたやる気を失い、途中で失速してしまう日がやってくると思うのです。そして、自分の意志の弱さを責めるでしょう。「あれほどやると決めたのに、どうしてできないんだ!」と自分に嫌悪感を抱いてしまうかもしれません。

 なぜだかわかりますか?

 実は、はじめに考えてもらった『何のために勉強するのか』という勉強の目的には、もう一つ大切な目的があるんです。

 そして、それを持って勉強をしなければ、必ず途中でやる意味を見失ってしまうからなのです。

 あなたが三通目のお手紙で書いてくれたことを思い出してみてください。

 あなたはこう書いてくれましたね。

 
 「二通目のお手紙に『勉強という道具で人の気持ちがわかるようになることだってある』って書いてあるのを見て、思い出したんです。これって一通目に書いてあった、『できない人を見下す・気持ちがわからない』の反対だって。だから、勉強を上手に使えば、人から好かれたり、よその国を好きになったり、世の中の人たちが喜ぶものをつくり出すことができるんだろうなって思うようになりました。」

 そうです。「勉強」という道具は、『ほかの人たちの役に立つため』に使って、はじめて上手に使ったといえるんです。

 つまり、勉強という道具は、

 『自分を磨くため』

 『人の役に立つため』

 という二つの目的のために使ったときにはじめて、正しい使い方をしたといえるのです。

 

 受験勉強はよく、マラソンにたとえられます。

 長い道のりを一人孤独に走り切らなければならないからでしょう。途中で何度もやめたくなったり、苦しくなったりしますしね。

 でも私は、マラソンより駅伝に近いと思うんです。

 それまでの走者が必死な思いでつないできたたすきを手に持って走る駅伝。これに近いと思うのです。

 「勉強する」という言葉の意味を考えると、私たちが学んでいることは、かつてこの世に生きた人間が人生を通じて見つけ出してきた英知を次の世代へつないできたものの集大成だという話は覚えていますよね。その点を考えても、やはりマラソンではなく駅伝なんだなあということがわかると思います。

 また、あなたが「勉強する権利」を手に入れるために、どれだけ長い時代の人々が命を賭けて戦ってきたかという事実を考えても、今、たすきを手に走っている私たちの世代が、ちょっとやそっとの理由で途中棄権するわけにはいきません。

 すべての人が「自由に勉強できる世の中にしたい」と思いながらも、そんな世の中はなかなか実現できませんでした。それを手にしたのは、何千年、何万年も続いている人間の歴史の中で、ほんの五十年ほど前にすぎないのです。

 この国に住む私たちは、それまでこの世界に生きたすべての人たちの恩恵を受けて、今ようやく「だれでも、好きなだけ、先人の知恵や知識を身につけていい権利」を手にしたわけです。今もまだ世界には、そういう状態にない国がたくさんあります。そうした国が何よりもまず目指そうとしている、夢のようなシステムなんです。

 これを私たちの時代で終わりにするわけにはいきません。だから、その権利も、受け継いだ知恵も、そして自分が勉強して学んだことも、とにかく何もかも受け取って、そこに自分が生み出した何かを加えて、次の世代につなぐ。そうしてはじめて「勉強した」といえるわけです。

 きっとここまでのお話で、「理屈」としては納得してもらえたと思います。

 でも、これは理想論ではなく現実論です。

 現実に、「勉強」をどうやって人のために役立てるかという具体的な目標がない人は、勉強という道具をただしく使って成功することはできません。

 自分のお金欲しさに勉強したり、アルバイトをしたり、働こうとしたりというように、すべては自分の幸せのために努力をする人がいます。そういう人は、残念ながら学歴に関係なく、大きな夢を実現するすばらしい生き方はできません。

 

・マラソンは、単独でスタートからゴールまで走っていく。

・駅伝は、たすきをつないでいくリレー。

 

今我々が得ている知識の集大成は、過去の人々の発見を積み重ねたもの。

先人の努力がなければ、スッカラカンだった。

 

そう考えると、勉強って、スタート地点で、先人のたすき(功績)を受け取っているんだよね。

ニュートンの「巨人の肩に乗る」って話と同じだと思った。

 

巨人の肩の上 - Wikipedia

「巨人の肩の上にのる矮人」(きょじんのかたのうえにのるわいじん、ラテン語: nani gigantum umeris insidentes)という言葉は、西洋のメタファーであり、現代の解釈では、先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見することを指す。

 

科学者アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡で用いた、
私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。(英語: If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants.)
という一節を通してよく知られている。

このニュートンの手紙が原典だと信じられていることも多いが、最初に用いたのは12世紀のフランスの哲学者、シャルトルのベルナールとされる。

 

・コンピューターを発明した人がいた。

プログラミング言語を発明した人がいた。

スマートフォンを発明した人がいた。

 

アプリを作ったり、デザイン(設計)できるのも、そういう道具を作るための道筋を作ってくれた先人がいたおかげだね。

自分はただその道具を利用させてもらって、大した苦労もせずに、アプリを作っているだけ。

もし、ゼロから全部自分で作れ!って言われたら、とても大変だろう。…てか、作れないと思うw

 

未来の人々とつながる

お互いに助け合って生きているのです。もちろん、今までのあなたもそうやって生きてきました。

 そして、これからのあなたも、いろいろな人とつながって生きていくのです。あなたが今後、幸せな人生を送っていくとしたら、四通目の手紙にも書いたように、自分の存在する理由をたくさんつくって、多くの人と関わりながら生きているはずです。そしてあなたと関わって生きる人たちは、あなたが勉強という道具を使って自分を磨きつづけたからこそ、その恩恵を手に入れることができるわけです。

 つまり、あなたが勉強しなければ困るのは、あなたではなく、将来あなたと共に生きる人なんです。

 いや、困るというのは語弊があるかもしれませんね。

 和花さんは以前、手紙の中で農学部に興味があるとおっしゃっていましたね。

 あなたが勉強を続けた結果、地球温暖化が解消されるような大きな発見をして、砂漠でも育つ植物の開発に成功したとしたら、あなたのおかげで数多くの人が幸せを手に人れることになります。その人たちのために、今あなたは勉強をするんです。

 そんなに大きなことをやろうとは思っていないという人も、将来、必ずだれかと関わりながら生きていくことになるのですから、その人たちのために勉強という道具を使って自分を磨いておくことには、大きな意味があります。

 たとえば、あなたが今以上に『人の気持ちがわかる人』になれたとしたら?

 今以上に『素直な心を持つ人』になれたとしたら?

 今以上に『意志の強い人』になれたとしたら?

 きっと、将来あなたに出会う人は、あなたに出会えてよかったって、今のあなたのままでいる以上に思ってくれるはずですよね。あなたの子どもだって、人生が大きく変わるはずです。

 このことを心から納得し、人のために自分を磨いていこうと心底思えたとき、あなたは今まで経験したことのないような力を発揮することができます。

 「勉強」をして大成した人たちは、ある点で共通しています。

 小さい頃から「世の中のためになる人になりなさい!」と言われて育ったということです。

 そして、そうなろうと努力して成功しました。決して「自分が幸せになるためには、どうしたらいいだろうか」と考えて成功したわけではありません。

 ですから、私があなたに「何のために勉強しないといけないの?」と聞かれたら、

 「世の中の人たちのために頑張りなさい!」

 「あなたの今日の頑張りが、将来出会う多くの人たちの人生を変えるんだよ。その人たちのために頑張りなさい」

 「どんな生き方をしてもいい。でも、人の役に立つ人になりなさい。そのために勉強するんだよ」

 まずはそう言ってあげたいと思うんです。

 ちょっと厳格な親父みたいに、

 「『勉強』は、人の役に立っ使い方をしてはじめて『できる』って言うんだぞ」ってね。

 勉強をしているときは、どうしても孤独を感じがちです。ですから、もし行きづまって、一人で走りつづけているマラソンのような苦しさを感じたときは、この話を思い出してください。

 そして、あなたが勉強した結果、手に入れたもので、たくさんの人を幸せにしてあげてください。彼らはそれを心から待っているのですから。

 あなたが思っている以上に、今日一日の勉強が、将来の世界を大きく変えることにつながるんです。そのことを忘れないでくださいね。

 さあ、これで私があなたにお伝えしたいことはすべてお伝えしました。 

 

先人の発見に、自分の発見を追加していけば、人類の叡智はより発展して、未来の人々にバトンタッチできる。

そういう大きな時間の輪の中に、自分がいることを意識して、勉強すればモチベーションを高めることができそうですね!

 

…と言っても、アプリの開発方法を勉強したぐらいで、そんなに大きな影響力は残せないかもしれないけどw

→些細なことでもOKとしよう!(・∀・)

 

未来の自分を助けるための勉強

ここで一つの思考実験をしてみる。

 

・不治の病の子どもに対して、「これから医学を勉強して、自分の病気の治療方法を発見すれば、病気を治せるかもよ。がんばろう!」とアドバイスしても、その子どもは医学を学び、治療方法を発見する前に、時間切れで死んでしまう。

 

・もしも、この子が生き延びて、将来医者や学者になることができたら、いろいろな病気の治療方法を発明・発見できる。

 

この子が大人になった時代から、タイムリープして、まだ病気のときの子どもの時代にやってきて、治療方法を教えてあげることができたら、この子は助かり、大人になったとき、病気の治療方法を発見している。

 

でも、現実にはタイムリープはできないから、この子の代わりに、誰かが今すぐ病気の治療方法を発見しないといけない。

 

この子の未来を先取りして、代わりに今研究することが、多分「勉強する」ということの意義であり、価値なのだと思う。

 

上記の子どもが、未来の自分だと置き換えて考えてみると、

「今自分が抱えていない他人の問題は、将来自分が同じ目に合った時、解決しなければいけない問題に変わる」ということになる。

 

他人の問題は、自分の問題として共有できる場合もあるだろう。

つまり、今は困っていなくても、将来何か困ることに出くわす場合もある。

 

 

「他人のためにやることってのは、もしかしたら、将来の自分につながっている場合もある」と考えると、無駄なことは何一つないのかも?

 

「勉強はマラソンよりも駅伝に近い」ということを念頭に置きながら、Swiftの勉強を進めてみたいと思いますw

 

 

 

ピーカブー / ポプラ通りの家