浜村拓夫(・∀・)作品集

頭の中にあるイメージを表現できるデザイン力が欲しいです(><)

「公開してから逝け」の哲学:「まともな先人」でありたい

オードリー・タン氏の話で「なるほど」と思える考え方があったのでメモしときます。

 

distance.media

 

「公開してから逝け」の哲学:「まともな先人」でありたい

 

オードリー 世界には17のグローバル目標と169のターゲットがありますが……(笑)、今からそれを全部挙げるつもりはありません。その代わりに、とても個人的な話をさせてください。私は1981年に、心臓に問題を抱えて生まれました。一番古い記憶は、4歳で医者に連れて行かれたときのことです。医者はレントゲン写真などを見ながら、両親にこう言ったんです。「お子さんが心臓の手術を受けられる年齢になるまで生きる可能性は、せいぜい50%ですね」と。つまり、私の最初の記憶というのは、存在の危機に直面するようなものでした。でも結局、12歳になった1993年に無事に心臓の手術を受けることができて、今はまったくの健康体です。

 

でも、人生の最初の12年間は、次の日に目が覚めるかどうかわからないまま眠りにつく毎日でした。この命がいつ尽きるかわからないという状況のせいで、ある習慣が身につきました。それは、毎日学んだことをすべて公開するということです。だって、もしかすると次の日にはいないかもしれないじゃないですか。いわば、「公開してから逝け(Publish and then perish)[★02]」ということですね。つまり、旅立つ前に知識を公開するということが最大のモチベーションになったのです。自分自身をパイプ役だと考えて、良いアイデアを思いついたら毎日公開する。そうすれば、安心して眠りにつけます。たとえ二度と目覚めることがなくても、アイデアがすでにパブリックドメインに存在しているからです。自分の仕事の著作権をすべて放棄しているのも、これが理由です。私がこの世を去った後も私の作ったものを楽しみたいと思う人々を、70年も拒絶するわけにいきませんから。

 

つまり、私が言いたいのは、まともな先人でありたいということなのです。未来の世代には、私が今享受しているよりももっとたくさんの可能性を楽しんでもらいたい。完璧なAIの設計などで、その可能性を閉ざしたくないのです。つまり、私が考えるまともな先人とは、自らがこの世からログアウトするときに、自分がログインしたときよりも、もっと可能性に満ちた、より良い世界を残して逝ける人のことです。

 

★02

「Publish or perish」は、もともと「出版できないなら死んでいるのと同じ」というような意味。

研究者は出版された論文や著書で評価されるので、出版できるかできないかが死活問題になることを揶揄した言葉。

それをもじっての発言と思われる。

 

※ perish … 死ぬ、滅びる、消滅する

 

巨人の肩

オードリー・タン氏の話を読んで、「巨人の肩にのる小人」の話を思い出しました。

 

ja.wikipedia.org

 

「巨人の肩の上にのる矮人」(きょじんのかたのうえにのるわいじん、ラテン語: nani gigantum umeris insidentes)という言葉は、西洋のメタファーであり、現代の解釈では、先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見することを指す。

「巨人の肩の上に立つ」、「巨人の肩に座る」、「巨人の肩に登る」、「巨人の肩に乗る小人」、「巨人の肩に立つ侏儒」などの形でも使われる。

科学者アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡の以下の一節で知られるようになった。

 

私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです。

(英語: If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.)

 

  • 人はいつ死ぬか分からない。
  • 人はいずれ死ぬ運命にある。(永遠に生きられる人はいない)

 

  • 自分が死ぬとき、自分が生きていた世界よりも、より良い世界を次世代に残すことができれば、理想的な人生といえる。
  • そのためには、死ぬ前に世界を良くするためのアイデアや知識を公開して、人類で共有しておく。

 

具体的な行動としては

  • 毎日学んだことをすべて公開する。

 

生きる動機付け:

  • 知識を公開するということが最大のモチベーション

 

オードリー・タン氏が天才と言われている理由が少し分かったような気がしました。

 

オードリー・タン氏の経歴

ja.wikipedia.org

 

https://x.com/audreyt

 

唐 鳳(とう ほう、タン・フォン、オードリー・タン、英: Audrey Tang、1981年〈民国70年〉4月18日 - )は、中華民国(台湾)の政治家(無任所大使)、プログラマー

旧名・唐 宗漢(とう そうかん、タン・ツォンハン、オートリジュス・タン、英: Autrijus Tang)。

 

経歴

唐光華・李雅卿夫妻の子供として生まれる。

幼い頃からコンピューターに興味を示し、12歳のときにPerlを学び始めた。

2年後の14歳のとき、学校生活に馴染めなかったため中学を中退した。

19歳のときに、シリコンバレーでソフトウェア会社を起業した。

 

政治経歴

唐は「デジタル技術とシステムによって政府の問題解決を補佐し、民間と政府のコミュニケーションの促進と強化を行う。自分の役割は特定の団体の利益のために動くことでも、政府のために政策の広報を行うことでもなく、より多くのイデアと力を結合させる『パイプ』となることだ」と述べ、政務委員としてこれに取り組み、若年層と高齢層のジェネレーションギャップを埋め、パブリック・アクセスのためのフリーソフトウェアを開発し、台湾の新たな共有経済が実際に機能することを示した。

理念としては「徹底的な透明性」(radical transparency) と呼ばれるものを挙げており、公開できる、あらゆる情報がインターネット上にあることで、政府の官僚や大臣が何をやっているのか、何を考えているのかを全部知ることができ、人々が「国家の主人」になれるというビジョンを掲げている。

 

  • 様々な事情で分断されている現代社会。
  • 人々がお互いに理解し合い、協力できれば分断を解消できる。
  • そのために必要な道具をITで作る。

 

今まで表面的な経歴しか知らなかったけど、すごい発想を持っている人物だと改めて思いました。

 

 

 

SDGsの目標

「世界には17のグローバル目標と169のターゲットがあります」という一文が、何のことだろうと思って検索したら、SDGsの話でした。

 

www.maff.go.jp

 

www.asahi.com

 

www.unicef.or.jp

 

 

 

 

オードリー・タン氏の考え方を参考にして、良いアイデアや道具、知識を次世代への置き土産として残したいです。

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