最近話題のデザイナー、佐野さん。
パクリ・コピー・模倣・盗作は、どこまで許されるのでしょうか?
五輪のエンブレムの件。もし審査の段階でベルギーの劇場のロゴの存在に気づいていたら、採用作は「似ている」ということで選外になったはずだ。調査の網の目からこぼれたための入賞だと考えると応募者に責任はない。むしろ選んだ審査員側にある。審査員の説明が必要ではないだろうか。
— 横尾忠則 (@tadanoriyokoo) August 6, 2015
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・五輪エンブレム審査八百長疑惑・日本美術界馴れ合いの構図:トラネコ日記
・やはりパクリは業界の体質か? 佐野研二郎氏に続くパクリ疑惑も - 無職の分際で言いたい放題
・オリンピックエンブレムは出来レース?博報堂コネ疑惑のコンペ審査に問題点を指摘する声も - ニュースランド
●不正の温床
日本の美術・広告・デザイン業界では、模倣や不正が常態化しているようです。
→ 商売でやる以上は、儲けが出ないとやっていけない。
→ 非営利の趣味やボランティアではない。
まあ、パクリが無くならないとしても、TPOってもんがあるのでは?
・町内会のチラシで使うデザイン → 町内の人しか見ない。(バレにくい?)
・オリンピックで使うデザイン → 世界中の人が見る。(バレやすい?)
そりゃアンタ、オリンピックのロゴマークなら、世界中の人が見るんだから、パクられた側にもバレる可能性が出てくるってもんでしょう。
いつも不正をやっていると、慣れによって判断が鈍ってしまい、バレたときのことを考えていなかったのでは?
「貧すれば鈍する」ってやつですかねー?
●シミュラークル
ところで、コピーではないもの=純粋にオリジナルなものって、あるんでしょうか?
ひょっとしたら、「全てのものは何かの模倣である」という見方もできます。
つまり、原型=オリジナルとは何なのか?という定義を明確にしないと、コピーの話も成り立たないと。
シミュラークル(〈フランス〉simulacre)
1 影。面影。
2 にせもの。まがいもの。模造品。
フランスの思想家、ボードリヤールが提唱した概念。ポストモダン社会における、オリジナルなきコピーのこと。
元来は文化人類学の用語であり、ある土地の伝統文化が滅びてしまった後、後世の人間がそれを惜しんで復活させた「まがいもの文化」を指す。
仏語で「虚像」「イメージ」「模造品」などを意味する。
ピエール・クロソウスキー、ジル・ドゥルーズ、ジャン・ボードリヤールら20世紀フランスの哲学者たちが特別な含意を込めて用いたことで知られる。
クロソウスキーとドゥルーズは、それぞれニーチェとプラトンを論じるさいに、「シミュラークル」を(いわゆる「実像」や「本質」に対する)「虚像」ないし「仮象」から区別し、実像と虚像、本質と仮象という二項対立の関係を哲学的に問い直した。
それに対してボードリヤールの議論は、むしろ消費社会や文化現象の考察を主な目的としており、今日において仏語の「シミュラークル」という言葉が用いられる場合は、後者の用法が念頭に置かれていることが多い。
ボードリヤールは、
(1)ルネサンスから産業革命、
(2)産業革命以降、
(3)現代の消費社会における「シミュラークル」
を区別し、それぞれに「模造」「生産」「シミュレーション」という名を与えた(以上の三段階はしばしば「自然主義的シミュラークル」「生産主義的シミュラークル」「シミュレーションのシミュラークル」とも呼ばれる)。
以上のようなボードリヤールの主張に従えば、今日の消費社会における諸事物は、プラトン的な「オリジナル」と「コピー」(「本物」と「偽物」)の対立において存在しているのではなく、ただその「模像(シミュラークル)」の循環のみによって存在していることになる。
『象徴交換と死』(1976)や『シミュラークルとシミュレーション』(1981)におけるこうした主張は、美術におけるシミュレーショニズムや、ウォシャウスキー兄弟の映画『マトリックス』シリーズ(1999-2003)をはじめとする同時代・後世の文化に大きな影響を与えた。
- 作者: ジャンボードリヤール,Jean Baudrillard,竹原あき子
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
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ボードリヤール氏の考え方を参考にすると…
自分ではオリジナルと思っていたデザインが、実は自分が知らないだけで、過去に似たものが存在していた、という可能性は常にありますね。
そう考えると、デザインの唯一無二性を証明する手段がない以上、100%のオリジナルなんて、この世に存在しないことになります。
つまり、シミュラークル=似たものが循環しているだけ、と。
音楽や映画などの分野で、リバイバルや焼き直しが行われるのは、その好例でしょうか?
リバイバル(revival)
[名](スル)
1 一度すたれたものが、見直され、再びもてはやされること。再評価。「60年代のヒット曲が―する」「―映画」「―ブーム」
リバイバルは著作権関係をクリアした上でのコピーや作り直しなので、盗作というわけではありません。
パクリは、オリジナル作者の許諾を得ていないので、盗作の扱いを受けることになります。
両者の違いは、一言でいうと、オリジナル作者に対する「リスペクトの有無」でしょう。
●守破離
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しゅ‐は‐り【守破離】
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
守破離というプロセスに当てはめてみると、デザインのパクリ、コピーは、第1段階の「守」でしかないわけです。
その延長線上にある「破」や「離」の段階には至っていない=まだまだ未熟、未完成と言えるでしょう。
似たものを扱っている場合でも、どこまでが同じで、どこからが違うか?という領分を自覚しておくべき?
自分の個性、違いを打ち出すことができたら、そこは主張してOK=「離」の段階に踏み込んだ、と。
●相対的な差異
・原型=オリジナルとは何なのか?という定義
・どこまでが同じで、どこからが違うか?という領分
→これらを明確にするのは、案外難しいかも?
例えば、空に浮かぶ雲を見た場合、雲があるのは分かるけど、雲の大きさや長さを厳密に規定するのは難しいでしょう。
=雲は水蒸気の塊で、境目が曖昧だからです。
雲の端は「どこから、どこまで」と長さを図ろうとしても、水蒸気が濃い部分と薄い部分が混ざっていて、境目を決められません。
水蒸気が10%以下になれば雲に見えないという人もいれば、水蒸気が0%でないと境目とは言えないという人もいるでしょう。
雲の端に見えるか見えないかは、相対的であり、人によって違います。
雲と同様に、デザインの似ている度合は、人によって見え方が違うでしょう。
デザインの近似度は、相対的な事象であり、絶対的な事象ではないのかと思われます。
きん‐じ【近似】
[名](スル)
1 非常に似通っていること。「―した図柄」
2 ある数値に非常に近いこと。また、そのような値で表すこと。「―計算」
そう‐たい〔サウ‐〕【相対】
[名](スル)
1 向かい合うこと。向き合っていること。また、対立すること。「難題に―する」
2 他との関係の上に存在あるいは成立していること。
そう たい さう- 【相対】
( 名 ) スル
① 向かい合っていること。あい対していること。また,対立すること。
② 互いに他との関係をもち合って成立・存在すること。 ⇔ 絶対
〔② は「哲学字彙」(1881年)に英語 relativity の訳語として載る。明治期には「相待」とも書かれた〕
日常生活の様々な場面で、我々は比べる行為を頻繁にやっていますね?
→比べるときの基準や感性は、その人の過去の経験に依存しているので、人によって違う基準を持っているのでしょう。
「3LDKは、1LDKに比べて広い。」
「3LDKは、5LDKに比べて狭い。」
同じ3LDKの物件でも、1LDKから引っ越してきた場合は広く感じるし、5LDKから引っ越してきた場合は狭く感じます。
3LDKという部屋の大きさ自体が変わっているわけではないのに、条件によって、広く感じたり狭く感じたりするので、部屋の大きさは「相対的」なものだと言えます。
・絶対的 → 30m×10mの面積を持つ3LDKの物件(=不変)
・相対的 → 引越前後で比べて、広い/狭い(=変化)
比べる=相対的
デザインが似ている/似ていないという問題は、形状をベクトル解析して、近似度を数値で表し、90%以上なら似ている、90%未満なら似ていない、という判定基準を設けることもできるでしょう。
しかし、人間の目や脳の処理には、錯覚があるので、数値で表した近似度だけでは、納得できるものにはならないかもしれませんね?
誰もが納得できる絶対的な基準を設けない限り、盗作を証明することは難しいでしょう。
多数決で決めて、多くの人が似ていると感じたら、佐野さんの作品は、盗作と扱われてしまうかな?(→多数決がいつも正しいとは限らない)
●GOOD LOSER
パクリの解決策はあるのでしょうか?
一案として、最初から真似することを認めて、意匠の利用を申し込めば良いと思います。
真似する側も、真似される側も、お互いの了解済みであればOK。
カルヴィン・ハリス (英 : Calvin Harris)とは、スコットランド出身のDJである。
クリス・ブラウン「Yeah 3x」
ハリスは「今朝、ラジオから流れるクリス・ブラウンの新曲を聴いたときに、コーンフレークを喉に詰まらせそうになったよ!どういう意味かわかる?」とTwitterでつぶやいた。これはクリス・ブラウンの2010年の新曲「Yeah 3x」が、ハリスが2009年に発表した "I'm Not Alone"にそっくりだという意味であった。その後、Twitterでクリス・ブラウンのファンから「あなたの曲なんて誰も知らない」と攻撃を受けた。これに対しハリスは「何を言おうと、盗作は盗作だ。DJ Frank E(「Yeah 3x」のプロデューサー)のことをリスペクトしているけれど、彼は僕の曲を知っているはずだ」とツイートした。騒動ののち、クリス・ブラウン本人が2曲を聴き比べた上で類似を認め、カルヴィン・ハリスの本名「Adam Richard Wiles」を「Yeah 3x」作曲者のクレジットに追加した。
この2曲が似ているか?と聞かれたら、微妙な気がします。
→本人が似ていると思うなら、似ているんでしょうね?
→パクリを認める勇気=開き直りも必要?
・グッドルーザー【good loser】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
《loserは、敗者の意》負けっぷりのいい人。潔く負けを認める人。負けても潔い人。
・似ている度合を測定する基準を設ける。
・デザインの意匠の利用するライセンスを設ける。
現実的には、この2点が必要かな?
シミュラークル=循環的な模倣でないものはあるのか?
厳密な意味で、唯一無二のオリジナルは存在しないとしても、守破離の考え方に立てば、パクリはあくまでも初歩の段階に過ぎないわけだから、そこから発展させて、独自性を目指す努力はすべきなのでしょう。
自分もまだまだデザインの初心者だけど、自分のテイスト=個性を開花させたいです。