失敗は大事だったことに昨日気付きました。\(今さら)/
今日からはガンガン失敗して行きたいと思います。\(鷹揚)/
●イノベーションのプロセス
何か新しい発明を行うときは、以下のような段階を経ています。
なんでこう思ったかというと、この記事を読んだからです。
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最近、シリコンバレーを訪問する日本人の学生や社会人の前で話す機会が増えている。多くの場合、最新のシリコンバレー事情などを話している。その中で私が彼らに必ず投げかけている問いがある。
「あなたは何か失敗していますか」
そう問いかけられて、すぐに何かを思い当たる人はかなり少ない、というのが私がこれまで得てきた感触だ。「そう言われてみると、何か失敗したかな」というのが日本人の学生や社会人のおおよその反応だ。
この実態は、起業家精神やイノベーションを議論するうえで深刻な課題があることを私たちに示唆している。
失敗というのは、自分で明確な意思決定をしない限り、意識することはない結果である。目標を設定しない限り、定義できない事象とも言えるだろう。
自分ができることしかやらない人は、決して失敗することはない。失敗をしていないというのは、自分の能力を超える課題に挑戦していないことの証拠でもある。
今までは、ぶっちゃけ「失敗するのはアホだから」と見下す価値観を持っていました。
なので、自分は失敗をしないように慎重に振舞うことを心がけているし、他人が失敗すると「アイツはダメだ」と内心非難しがちでした。
せいぜい、アンチパターンの収集のため、反面教師として失敗例を活かそうという程度の認識でとらえていました。
アンチパターン (英: anti-pattern) とは、ある問題に対する、不適切な解決策を分類したものである。語源は、ソフトウェア工学におけるデザインパターンである。
主に失敗した開発プロセスに焦点を当てて失敗に陥るパターンを類型化する。そうすることで、そのような事例の早期発見と対応策に関しての提案を目的とする。
でも、見方を変えると、失敗は価値の低いものではなく、価値の高いものになるのでした。
我々日本人は学校に入学した時から失敗しないように振る舞うことが求められる。ミスの一番少ない人間が優秀とみなされる。失敗経験の少ないエリートを量産するというこの教育制度は、右肩上がりの経済局面では効率的で素晴らしい仕組みだった。
だが、際だった個性や発想を伸ばすことによって経済をけん引する力を生みだそうとするシリコンバレーのような社会では、日本の教育制度は全く使えない習慣になる。挑戦した結果としての失敗の多さが勲章になり得る――。このような環境が、少数ではあるが天才的な起業家を生み出しているのだ。彼らが米国の「イノベーションのエンジン」と呼ばれ、成熟した社会における経済成長の大きな力になっている。
ミスを恐れると小さくまとまってしまい、(リスクを伴う)大胆なチャレンジを避けるようになってしまいますね?
このミスを恐れる気持ちが、ブレーキになっていました。
日本も米国と同様に成熟した社会になっている。教育現場や仕事場で自分の実力を超える課題に果敢に挑戦する人をもっと高く評価し、彼らが失敗しても救う仕組みがなければならない。それがなければ、ベンチャー精神やイノベーションをいくら議論しても不毛であることは明らかだ。
私は日本人に失敗を奨励しているわけではない。難易度の高いことや自分が少し怖くなるくらいのことに挑戦して、結果的に失敗したとしても、そこから学び、もっと良い挑戦をしている限り評価する。そうした寛容の精神が社会全体に必要だということだ。
ミスを恐れるのではなく、受容する寛容さが必要でした。
最近読んだデザイン思考の本でも、発明王・エジソンの言葉が引き合いに出されていました。
(p.152)
「とにかくトライする」態度が、アイデア実現のカギ
アイデアを実行すると決めたらとにかく失敗を恐れずに「始める」ことが大切です。
これがデザイン思考の大きな特徴です。
計画以前に必要なラピッド・プロトタイピング
エジソンはこう言いました。
「私は失敗したことがない――」
さすが発明の天才、言うことが違いますね。しかし、この言葉には続きがあります。
「1万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ」
なるほど。つまりエジソンは失敗に失敗を重ねたわけです。しかしエジソンにとって、それらは失敗ではありませんでした。「うまくいかない方法の発見」に過ぎなかったということです。そして、うまくいかない方法をくぐり抜け、ようやく到達したのが発明という成功だったわけです。
先のエジソンの言葉には、デザイン思考にとってきわめて深い教訓が秘められています。
デザイン思考では「失敗しながら前進する」がモットーだからです。
これだけ見ると、よくありがちなポジティブ思考みたいですが、プロジェクト管理のプロセスとして見ると、失敗とは成功に至るまでの距離を予測するバロメーター(=役に立つもの)として使えることが分かります。
失敗とは「終着点」ではなく「通過点」であり、
プロトタイプ(試作品)だったのです。
試作段階で開発を止めてしまうと、試作品は失敗作のままで終わってしまいますが、開発を止めない限りは試作品は試作品のままです。(まだ失敗作と決まったわけではない)
失敗作と決まってしまうのは、自分が開発をやめたときだけですね。
「継続は力なり」と言いますが、その意味を自分なりに定義することができました。
開発を継続している限りは、失敗作は存在せず、試作品の山ができるだけと。
苦しい言い訳にも思えますが、寛容さがあれば心が折れないで、次の改良に向かえると思いました。
私自身、子どもたちに「最近、何か失敗しているか」との質問を時折投げかけている。挑戦している子を前向きに評価し、平穏な生活をしている子には何か新しい挑戦をするように仕向けているのだ。自分自身にも十分な挑戦をしてるかどうかを定期的に問いかけるようにしている。
・挑戦する姿勢を評価する。
・挑戦するように心がける。
電気自動車を開発しているベンチャー企業のテスラモーターズや民間宇宙旅行ベンチャーのスペースXを創業したイーロン・マスク氏もこう言っている。
「何も失敗ごとが起こっていないのだとしたら、十分にイノベーションを起こしていない証拠だ(If things are not failing, you are not innovating enough)」
あなたは、最近失敗するような挑戦をしていますか。
失敗なら、これまでたくさんしてきたw
失敗を試作品と考え直して、継続的な改良に取り組んでみよう。
そうしたら、今まで築き上げてきた瓦礫の山も、いつか宝の山に変えられるかもしれないね!(^ワ^)